こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。
これまでにないレベルの最大級の警戒を要する大型台風は、多くの被害を出しながら、終息に向かいました。石川県は台風の通り道がずれたために、大きな被害は出ずに、なんとか無事に朝を迎えることができました。小中学校は登校時間をずらして警戒にあたっていましたが、備えあれば患いなしです。
きょうは、3歳の女の子が通園バスに置き去りにされて死亡してしまった事件について、自分の思うところを少し伝えたいと思います。
発見された時の女の子の様子から、どれだけ苦しかったか、どれだけ怖くてつらい思いをしたか、どんなにか不安だったか、どうしてこんなことになってしまったのか…と、日本中の人が怒り、悲しみ、憤った事件です。
報道は白熱し、ヒートアップしていきました。園長の受け答えの様子が遺族の方や多くの人の怒りを買ったと思われますが…
ただあの事件、最低最悪の園が起こしたこと、うちなら絶対あんなことあり得ない、自分なら100%起こさない、このように言い切れる乳幼児教育関係者はいるのか、と言ったら、おそらくいないと思うのです。
うちだったかもしれない…これまで幸い事故は起きてないが、起きていた可能性を100%否定はできない、これが正直な思いではないかと思うのです。
ひとりの子どもがいないことに何時間も気づかない…なんてあり得ないのではないか。これが多くの人の実感だと思います。そして、それがこの事件のポイントではないかと思います。
①いないことに気づかない。
②いないことはわかっていたが、欠席だと「思っていた」。
②のバリエーションは多彩です。
乳幼児施設でも、学童保育でも、学校でも、家庭でも、障害児施設でも、高齢者施設でも、どこでも日常的に起きています。
問題になる前に対処できた、問題になったけど事故にならなかったので事件とはみなされなかった、事故は起きたがなんとか内輪ですませた…いろんなレベルがあります。命を失うという大事件まで至ってしまうのはごく稀です。しかし、1年前にも同じようなバス置き去り事件が起きていることを考えると、「稀な事件」とはいえません。
いまは多くの保育園・幼稚園・こども園が登園・降園チェックを機器によって行っています。園児が名前を言って、当番職員と握手して、名簿にチェックを入れるなどというような時間のかかる面倒なことは敬遠されます。各自めいめいがタブレットなどにタッチすることですませられます。
これらの機器は施設運営を補助するものでありがたいものです。でも万能ではないのです。これはアナログでも同じです。デジタルでもアナログでも万能ではないという点においては同じです。なので、今回の事故はデジタル機器ゆえにおきたのではないのです。しかし、デジタル機器での安全管理があたかも万能であるかのように、人間側が錯覚した面はあったと思うのです。また、デジタル機器の使い勝手の悪さ、なんらかの不都合を調整したり、改善したりすることなく、人間側が手順をはしょって使用し、本来のアラーム機能が作動しなかったということがよくあります。
業者の強いすすめでデジタル機器を導入したけど(こういったものは官民一体となって、助成金などを活用して導入をすすめたりするものです)、使いにくい、面倒などの理由で、きちんと活用されず、使用が形骸化することがよくあります。
これはアナログな方法でも同じです。記録は本来大変重要なものですが、手段としての記録が、目的となってしまい、やっていないこと、やったかどうか記憶が定かではないこと、でも記録するのが決まりだし…ということで、あいまいな記憶なのに、あるいは記憶はないのに、やったこととして「記録してしまう」ことは本当によくあることなのです。
とくに、監査などで記録が非常に重要なものである場合、監査される側は書類をそろえることが目的となり、監査するほうも書類がそろっているか、サイン・印鑑があるかを見るのが目的となってしまいます。
つまり、すべては形骸化してしまうのです。
形骸化にデジタルもアナログもありません。
人間が機械を使う以上起こることです。そうでなければ、機械が人間を使う(支配する)映画「マトリックス」のような、あまり歓迎したくない事態を受け入れるしかないということになります。
形骸化をどうやって防ぐか。
これには、特効薬、画期的なこれさえすればバッチリというものがありません。
人間はモノではない。経済の一要素ではない。
人間は、誰もがかけがえのないユニークな(唯一の)存在。
このように毎日、日々心に刻み込んでいくしかないと思います。
頭に叩き込み、心に刻み込む、こうすることでしか防げないと思います。
デジタルとかアナログとか、そんなことではないと思います。
東洋経済が3歳児バス置き去り事件について、再発防止の重要性を指定しています。