あけましておめでとうございます。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。
能登半島地震から1年が経過しました。
今年の元旦は少し緊張しました。天気もよく、昨年の同日と同じような雰囲気でしたから⋯ヒマだし、ちょっと近くのスーパーへお菓子でも買いに行こうか、そんな気分になるのも昨年といっしょでした。縁起をかつぐわけではありませんが、震災に見舞われたときと同じ行動をとる気にはなれず、窓からの温かい日差しを感じながら一日家にこもっていました。
被災地の復興はまだまだと言われています。被害の状況、程度も場所によって大きく異なり、生活再建の力も人によって違います。
地元メディアでは、それぞれの立場で、今を懸命に生きる人たちの姿が日々紹介されています。
朝市通りが焼失し避難所や仮設住宅に移ってもなお畑に出て、出張朝市の店先に座る高齢のご夫婦。豪雨では畑が泥に埋まったけれども、それでもなお、春にはじゃがいもの苗を植え、人参の種を蒔こうと言います。
震災後に出会った人たちに触発されて、受注品だけでなく創作を手がけるようになった輪島の蒔絵師の女性。
公共工事よりもトイレやお風呂のための浄化槽の交換を優先させ、除雪車も走らせる建設業の壮年。
両親が営む創業50年の店が全壊し、今は仮設店舗でたこ焼きを売る女性。娘2人を保育園に送り届けてからの仕事です。
ブリの漁に出る女性、家族と離れて学校の寮で暮らす高校生⋯
たくさんの被災者の方が、現実を受け止めてなんとか前に進んだり、停滞したり、後退したりしながらも生きています。今、ここという時間と場所の制約を受けていることでは被災者であるとかないとかは関係ありません。
AIなど科学の進歩ですべての制限がなくなったかのように思うのは錯覚・幻想です。心という捉えきれない無限のもののごく一部が解明されているに過ぎないのです。
災害はすべてを奪い、すべてを破壊したかのように思われますが、人の心まで奪い破壊することはできません。
人の心を破壊するのは外的なものではないのかもしれません。
ニュースでは毎日のように日本や世界の事故・事件が報道され、ひとつひとつの出来事は忘れられていきます。
世間が忘れ去っても当事者には忘れることはできません。そして、当事者とはいつも他者であるわけではないのです。
今年も能登に縁していきたいです。
みなさまにとって、もう一度この年を繰り返したいと思うほど充実した一年であることを願います。