不適切保育について考える

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ )です。

昨日の雨で気温がずいぶん下がりました。緩やかに秋に向かうというのではなく、突然夏が終わり寒くなるというかんじです。

つい数日前に拾ってきた青いドングリはいつの間にか濃い焦げ茶色に変わっています。

先日、時々通っている図書館の新刊コーナーで『不適切保育はなぜ起こるのか』という本のタイトルを目にして心臓がドキッとしました。

家庭での保育ではなく保育施設でのことだなと瞬間的にわかりました。手に取ってみると案の定そうでした。

保育士資格を持ち保育施設での勤務経験もありますし、家庭内とはいえお子さまを保育することもある仕事に従事していますので私は当事者です。

すぐに借りて読みました。

当事者として深く真摯に受け止めるべき内容でした。

最後のあとがきのところで、保護者に伝えておきたいことがあるとして、たとえ不適切保育があったとしても、園や保育者との信頼関係を基本にしてコミュニケーションをとってほしいということが書かれていました。

これはどういうことかというと、保護者からみて「とんでもない!いったいこれはどういうこと?」と思うような行為や言動を目にしたり耳にしたりした場合、どうしても決めつけというか、保護者なりのストーリーができてしまい、断罪・糾弾するような抗議になってしまうのです。

そうすると、園は当事者の保育者を叱責し、保護者にひたすら謝罪し(これらは当然必要なことなのですが)、会議等で取り上げて、今後このようなことがないように!と厳しく言い渡して、とりあえず一件落着となります。

そして、また同じようなことが起きます。前回の当事者はすでに退職しているかもしれませんし、同じ保育者が別の問題を起こしたのかもしれませんし、全く異なる保育者が異なる案件で問題を起こしたのかもしれません。

保護者と園の信頼関係がなくコミュケーションが取れていない場合、問題が起きた経緯、その背景などが解明されることなく、波紋の見える表面だけを穏やかにしたような対応がなされます。

あとがきに書かれているような、これをやったらアウト、これはセーフというような皮相的な言動の線引きをしてマニュアルを作るやり方は保育施設だけではなく、介護施設などでも問題が起きたときによく取られている対策です。

不適切保育や不適切介護から目を逸らしているのです。(あってはならないことなのに起きてしまった。なかったことにしたいという後ろ向きの姿勢です。)

不適切保育とは何か、どうして起こるのかを見極めて防止策を考えることが不適切保育に目を向けることであり、とても大事なことだと著者は言います。

子どもという存在を理解し、子どもの人格を尊重する保育とはどういうものなのかについてそれぞれが考え、共通認識をつくることがまず必要、とのことです。

そんなこと「当たり前」と思うかもしれませんが、保育士として長年働いてきたこどもコンサルタントの原坂一郎さんが子育て月刊誌でこんなことを書いていましたよ。

原坂さんは当時、まだ少ない男性保育士でしたが、会議などで、こどもの叱り方に気をつけましょうと言っても、大げさに言えば、誰も聞く耳を持たなかったとか‥今ならみんな頷きながら聞くそうです。

 

子どもを子どもとして尊重するという考え方はけっこう新しいものです。

でも、子どもだけでなく、誰もが人間として尊重されなければならないのです。長い間子どもは小さな人間(大人より劣る存在)とみなされてきましたし、少し見直された後も、後に有益な人間となる前の大事な人材というような、どこかパーツ的な扱いであり、だから良品と不良品を区別しています。それは今も変わりません。先ほどの原坂さんも、世の中変わったというが、変わっていないことのほうが多いとおっしゃってます。

誰もが尊重されるべき存在、それが基本としてわかっていれば、背景にどのような問題があろうと(保育理念やしつけ・指導、保育者の資質など)不適切保育に怯える必要はないのです。

どれほどタイパやコスパを求めようとも、人間尊重を忘れた活動はいずれ行き詰まり、これまで費やしたことは水泡に帰すのです。

子どもたちが老年に達する頃、私たちはこの世界にはいません。子どもたちに未来を託す以外に何ができるでしょうか。

 

不適切保育はなぜ起こるのか