お盆です!過去を振り返り、返す勢いで未来に思いを馳せましょう!

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

暑さは続いていますが、朝夕の虫の鳴き声は秋をかんじさせます。早稲の稲穂は実り、秋祭りの準備がはじまる頃ですね。

今日からお盆です。といってもお盆休みという言葉もあまり聞かれなくなり、官庁や銀行などは通常通りの営業です。私も特にお盆休みというものはなく、お墓参りもいつの頃からか、猛暑の盛であるこの時期を外すようになりました。

お盆はご先祖さまがあの世から戻って来るので皆で供養する行事です。

お盆の由来についてはいろんなサイトで紹介されていますので、関心のある方は読んでみて下さい。

お盆とは

小さい頃は家族とお墓参りに行くのが楽しみでした。夕涼みを兼ねて夕方に行くのが習わしでした。いつもは閑散としている墓地が線香やロウソクの火で明るくなり、色とりどりの花が飾られ、人の声のざわめきが聞こえるのがとても嬉しかったのです。

でも、成人してから徐々に、お盆の形骸化を感じるようになりました。

お墓参りという形だけをこなしているように思えたのです。形式だけを踏襲しているというか、すでに中身はないのに、形だけは習慣で残っている、そのような儀式へのお付き合いがしんどくなりました。

形式を重んじる人からすれば、儀式の簡略化や変更は許しがたいことかもしれません。私は形式を軽んじるつもりはありませんし、形式は大切だと思います。

でも形式、型というものが何のためにあるのか、それらの存在意義は何かといえば、内実・内容を守るためです。

液体は容器がなければこぼれて散逸してしまいます。液体でなくとも、中身を守るには殻とか容器とか、包むものとかが必要です。

中身の重要度によって形式である容器は装飾を施したり、厚みをもたせたり、色鮮やかにしたり、凝ったものとなっていきます。

でもその肝心肝要の中身がなくなっているのに、中身をないがしろにしているのに容器だけは後生大事にしているというのは‥これを形骸化というのだと思います。

そして、お盆のお墓参りに限らず、あらゆることが形骸化しているのが現代の日本、ひいては日本が手本としている社会ではないかと思うのです。

ながなが書きましたが、せっかくのお盆ですから静かに過去に思いをよせて、返す勢いで未来に想いを馳せて、明るい気持ちでいきましょう!ということです😊

私は仕事柄小さなお子様とお会いすることが多いのですが、こどもは未来とつながっていますので、その姿をみるだけで気分は明るくなります。

50年後、70年後、自分はおそらくこの世にいないだろうけれども、今よりよい世界になっていてほしいと願います。そうしないとね!