明るく陽気な鴨居玲と暗く陰惨な彼の絵

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

すっかり春らしい暖かさになりましたね😊

少し前までの「春の寒さ」はやわらぎ、すでに暑さの気配がしますね😅

私は昔からこの時期を大変苦手としています…😓年度末から新年度にかけての慌ただしい雰囲気が気持ちを不安にさせるのです…

たぶん子どもたちもそうではないかと思います。不安そうにしていなくてもですよ😊

表面にわかりやすーく出ている子もいれば、全然不安そうに見えない子もいますが、「見た目」では全てはわかりませんので、お気をつけくださいね。

先日金沢ゆかりの洋画家鴨居玲の没後40年の展覧会を石川県立美術館で観てきました。

鴨居玲の作品は常設展でも観られますので私は何度も目にしたことがありますが、とにかく暗いのです、絵が😓。美術館は数点作品を所有しているようで、入れ替えでいくつか見ましたが、どれもこれも暗いのです⋯どうしてこんな陰惨な絵ばかり描くのだろうというくらい。

しかし、鴨居玲はその描く絵とは裏腹に大変陽気な人だったようです。お酒が大好きで、冗談好きで、気前がよくて、後輩たちの面倒もよく見る⋯とか。

しかし、鴨居玲を知る人たちの回顧録などを読むと、上記鴨居玲の性格はごく一部の表面的なものであることがわかります。

実際鴨居玲は40年前の1985年に自殺で亡くなっています。何度も自殺未遂を繰り返した末のことでした。かなり名前の売れた洋画家であるにもかかわらず、亡くなった後のバブルの時代には、あまりの暗さゆえに絵の価格は低迷していたということです。(鴨居玲の絵を一番多く所有している日動美術館オーナーは、その時にかなり集めたとか)

没後5年、20年と展覧会を定期的にするなかで、若い人たちのファンが増えているということでした。私はそのことがとても気になりました。えーと、気になるというか、なぜだろうと思いました。

少し鴨居玲のことを調べてみました。彼は絵の才能のみならず、さまざまな点で恵まれていました。当時として(昭和2年生まれです)は豊かな家に育ち、金沢美術工芸大学の立ち上げに関わった父親のおかげ(かどうかはわかりませんが、そのように見られて、かなり嫉妬されていたようです)で、大きな賞も取り、父親亡きあとは新聞記者、後に下着デザイナーとして活躍する姉にお金を出してもらって、ヨーロッパや南米に遊学して、思う存分絵に打ち込める環境でした。そして40代には洋画家としての地位を固めていました。

傍からみたら順調すぎるほど順調な人生です。これで何の不満があるのか?というかんじです。絵に行き詰まってお酒を飲んで暴れたり(身内の人はかなり怖い思いをしたようです)、狂言自殺のようなことを繰り返したり、なにが気に食わないのかと思います。

が、これって、今の若者の立場と同じではないかと思うのです。とりわけ日本の10代~30代(もしかして40代も)は上の世代からは恵まれた境遇で甘えていると思われています。

相対的な貧困は広がっているというものの、絶対的な貧困とは無縁なのが先進国、とりわけ日本の若者です。(高齢者、特に女性の貧困は懸念されていますが、若者は一応仕事があるので顧みられていないです)

家があって、食べるものがあって、スマホやゲームがあって、なにが不満なのか?世界を見渡せば貧困に喘ぐ人々、戦争の渦中にある人々がいっぱいいるのに⋯

と、いうかんじでしょうか⋯

鴨居玲の苦しさも似ているのかもしれません、わかりませんが😑

衣食住足りて、生きることにしゃかりきにならなくていい人生は豊かに違いない、恵まれた結構な人生だ。

こんな価値観を未だに捨てきれずにいるのが日本社会であり、そうではないことを感じている若者たちが、閉塞感とやり切れなさで鴨居玲に共感している⋯ような気がします。

家にある美術本を何冊か当たると、何人かの人が鴨居玲に言及していました。

それについてはまた別の機会に書きたいと思います。

学齢期の子どもたちは春休みです。年中休みなしのお母さまがたはお忙しいことと思いますが、お子さまをしっかり見つめて下さい。ほんの少し、数秒から数分しっかり向き合って下さい。

春の風邪にご注意ください。来年度もよろしくお願いします🙇

 

中国歴史小説で知られる陳舜臣ちんしゅんしん(1924-2015)の連載エッセイ『弥縫録』の挿絵は鴨居玲の明るい面が出ており、どれも楽しい面白い作品でした。