こんにちは。BeBRAVE.S代表の明正明美(みょうしょうあけみ)です。
みなさんは「ライスワーク」という言葉を知っていますか?
今の仕事は全然やりがいがない。
こんなはずじゃなかった。
自分の「ライフワーク」になるはずだったのに、これじゃ食べるためにやっている「ライスワーク」だ。
こんなぼやきをある本の中でみつけてびっくりしました。
私は数年前、不登校支援をしている人の話の中で「ライスワーク」という言葉を知りました。
「働く」に対しては、特に疑問を持って欲しくない。仕事の適性とか言われるけれど、僕は「働く」には、ご飯を食べていくための仕事―Rice Work(ライスワーク)と、自分の好きな仕事―Like Work(ライクワーク)の2つがあると思う。基本的には「ライスワーク」は有無を言わずやりなさいという方針で、それを担保したうえで「ライクワーク」が成り立つ。僕自身、サムガクを立ち上げるために様々な仕事を経験した。今でも学校の運営資金のために、地方の病院まで出稼ぎしている。夢を成功させるには、挫折が伴い、それなりのポテンシャルとモチベーションが必要となる。「食べること」「雨風しのぐ場所の確保」がなければ続きません。
だから、小中高校といろんな講演会に呼ばれても、僕は「夢を持て」とは絶対に言わない。むしろそうした幻想を取っ払ってあげたいんです。それよりも「生きるために必要なものは何か」を気づかせることです。それは「食べること」「住居の保証」「安心と安全」です。これは学校の先生もぼんやりとはわかっていても、どう伝えて良いのかがわからない。特に一番イメージしにくいのが「安心と安全」。人がある地点からある地点まで移動するとき、どうして安全に生きていられるのか。なぜ交通事故に遭わなかったのか。それはこの国の安心と安全が保障されているからです。そして、そうした社会を形成する国家を成り立たせているのが税金ですよね。つまり働いて税金を納め続けない限り、僕らの安全と安心は保証されない。それが今のパブリックな教育で教えきれていない部分なんです。
http://fsmanavi.net/opinion2.html
私は夢やロマンを持つことはステキなことだと思いますし、決してそれを否定はしません。
でも、人生の第一歩はなにはともあれ、自分自身が食べていけるだけの仕事をみつけることです。
その食べるための仕事(=ライスワーク)が好きな仕事(=ライクワーク)になり、いつしか一生を共にする、休みとか定年とかそんなの関係ない仕事(=ライフワーク)になるかもしれないし、食べるための仕事をやめて好きな仕事に就けるかもしれない。それはわからない。でもとにかく、生活が成り立つ仕事をすることが大事。
そう思っています。
親や配偶者などの保護のもと、収入は少なくても好きな仕事をするというのは限られた人にしかできないことです。
また、親や配偶者などの保護下にあるということは、税金や社会保険などの負担を「親や配偶者」ではなく、社会全体で担っているということです。本来扶養とは、自分自身の力ではどうにもならないから社会全体で支えるというものであって、自分の自由意思で扶養を選ぶのではありません。
ですから、食べるためのライスワークは自立の第一歩としてとても重要となります。
ところが。
ライスワークで検索すると冒頭のような意見がライフワークとともに出てきます。
ライクワークという言葉はすっかり抜け落ち、ライスワークよりもライフワークといった使われ方です。
すっかり別の使われ方が主流となっています。
そもそも「ライフワーク」は自分がどう思うか、どう感じているかといった主観的なものですが、「ライスワーク」は、食べていける、生活が成り立つ仕事ですから客観的なものです。
いくら本人がライスワークと自嘲気味になってみたところで、残業代ももらわずに自己責任とか言いながら長時間労働して、給料を働いた時間で割った結果が最低賃金割れしていたら、それは「ライスワーク」ではありません。
しつこいですが大事なことなので繰り返します。
否応なくやっている仕事かどうかもそうですが、なによりも「ライスワーク」である以上、最低賃金を上回るという客観的評価が必要です。それなりのお給料をもらっていると自負するなら、労働時間をしっかり計算してください。
自主的に残業しているというなら、ご安心ください。
あなたの仕事は立派なライフワークです。
最賃割れでもです。