コロナ終焉で考えてみたいこと

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

今月13日から、「マスクは任意」となりましたが、どこへ行っても、マスクを着用している人ばかりですね(笑)広々とした通りを一人で歩いている人や、一人で車を運転されている方も、しっかりマスクをされています。国民性が出ていて面白いです。

一方で、イベントなどの開催はばんばん再開されています。桜まつりや春の獅子舞、コンサートなど、数年ぶりに再開というものも多いと思います。

コロナ感染の終焉と春の息吹が重なったため、心弾むようなかんじです。

約3年におよぶコロナ感染騒動ではいいこともわるいことも噴出し、表面に浮き出てきたといえます。多くの人が亡くなり、職を失い、絆を断ち切られ、体験を奪われ、息をひそめていなければならなかったのに、いったいどんないいことが?と思う方もいらしゃると思いますが、このコロナ禍が多くの変化をもたらしたことは確かであり、その中には、これまで変えようとしても変えられなかったこともあります。テレワークやオンライン会議がそうですし、会議そのものが減ったのではないかと思います。ただし、「いい」と思ってすすめていたが、実際に普及してみると、別の問題が出てきた…ということもあります。あくまでも、コロナという外圧によって、「変化した」ということがいいことのひとつです。

また、期せずして、というものもあります。

コロナ感染では男性よりも女性がより多く不利益を被っています。日本において、家事や育児などは、女性の就労やその他の事情に関係なく、女性が担うものとされていますので、保育園・幼稚園・こども園、小中学校が休校になったことで、女性の負担が非常に重くなりました。保育園や学童保育はかろうじて開園はしていましたが、通所する子どもの数は大幅に減りました。

そのことで保育士さんたちが気付いたのは、少人数だと保育の質を高くできるということです。「子どもたちにせめてもう一人保育士を」という書籍には、そんな保育士さんたちの声が、女性記者を通して載せられています。

元々の人員基準が非常に厳しい(少ない人数で多くの子どもをみないといけない)こと、政府は量を確保するばかりで、質の向上は後回しであったこと、後回しどころか手を付けていないという批判も…

実は質の向上については、保育士という人材の質の向上のための取り組みは、処遇改善加算金という形でなされていたのですが、保育士間に不信感と混乱を巻き起こしただけ…というかんじがしないでもないのです…なによりも、人員基準が変わらないままの質の向上は、保育士という労働者個人の努力に依存しているため、がんばればがんばるほどつらくなり、真面目で能力のある人ほど離職してしまうという最悪の状態を作ってしまいます。

テレワークやオンラインによる業務など、変化したことも、コロナの終焉とともに終わり、元に戻りつつあるという調査結果も出ています。特に中小零細企業では顕著です。

多くの犠牲を払いながら、元の世界に戻っていくのか…

コロナという外圧で変化を余儀なくされたもの・ことは多かったと思いますが、今こそ、自分の意思によって、内からの声によって、これまで積み重ねてきたもの、つながりなどを見直し、新たなつながりを作るというのもいいかもしれません。

私自身、これまで多くのことを惰性でやってきました。いつもと同じはとてもラクで安心です。なにかきっかけがないといつもの安心を見直すことはなかなかできません。その意味で不快な経験というのは見直しのきっかけとして有効です。

なにか嫌な経験をしたときは、これまでの選択の見直しをしてみたらいいですよ。なんでそれを使っていたのか?理由は?それがないとどんな不便がある?不便は不便?みたいなかんじで、どんどん考えてみてくださいね。

それではBeBRAVE!

コロナについて書いた「今から考えておく「コロナの後に元に戻ってほしくないこと」もお読みくださるとうれしいです。