季節の変わり目には天体をながめて深呼吸してください。

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

昨日は冷たい雨が降り続き、移動の際には首をすくめるようなお天気でしたが、宵の口には西の空にだいだい色の鎌のようにするどい三日月が出ていました。すぐに雲に隠れてしまいましたが、一瞬垣間見える天体は心を弾ませます。心が和む方も多いと思いますが、私は断然心弾む派です(笑)

なぜ天体は自分の心を弾ませるのか。それはですね、たぶん、あまりにも悠久であるからだと思います。

137億年前に宇宙が誕生したといわれています。ビッグバンという爆発によって星がいっぱい生まれ、46億年前に太陽や地球や月ができています。いくら人生100年時代とはいえ、時間のスケールが違い過ぎて、大きすぎて、ああなるほど、わかるわかる!とはならないのです。

距離もそうです。たしかに情報技術の発展で世界の距離感は縮まりました。でもそれは地球に限ってのことです。せいぜい月や火星など近場までのことです。距離のスケールもつかみきれず、自分にとっては神秘です。(科学者にとっては違うのでしょうが)

今見ている月や太陽はいつのものなのでしょう…46億年前のものです。このことが意味することは私にはわかりません。正確には時間の経過によって変化しているので違うと思いますが、あまりのスケールの違いについていけないのです。

宇宙というスケールで見ると、地球上の進歩はあまりに小さく、それなのに、全宇宙を制覇したかのような人間の傲慢さに不安を感じたりもします。

しかし、一方で、宇宙の大きさに匹敵するのが「人間のこころ」とも言われています。つかみきれない、全容を把握するのは不可能という点で同じだと思うのです。心=脳と認識する人は別でしょうが、脳がずいぶん解明されたにもかかわらず、本来脳の機能から解明できるはずの心の動きが未だ十分に解明されていないところをみると、脳=心ではないと考えるのが妥当であると思います。

ミクロとマクロがなぜつながるのか、これもとても不思議ですね。

天体に惹かれる理由の一つは時間の秘密に迫っているように思えるからです。

時間と距離はまったく異なるモノサシですが、46億年前の天体を見ているとなると…短い時間と距離なら身近なものでも体験できます。水を流した時の流れは時間と距離を表します。1メートル流れたときは1~数秒経過してます。

ところで、タイムトリップをテーマにした小説やドラマ、映画は昔から人気があります。今も昭和のバブル時代から令和の現代に来たおじさんのドラマやってますよね。昨年は30年後の未来に電車ごとタイムトリップするドラマをやっていました。アメリカ映画バックトゥザフューチャーは大人気でしたし、古典作品ウェルズのタイムマシンも有名です。

過去へのタイムトリップはアドベンチャー気分満載で、ときに懐かしく楽しいこともあり、明るい作品となることが多いのですが、未来へのタイムトリップは絶望的なものが多いです。猿の惑星もそうですし…

技術の向上でバラ色の未来…と言われたのは昔のことで、悲観的な未来を思い描くことが多いようです。

みなさんは、タイムトリップするとしたら過去と未来どちらがいいですか?過去の自分に会いたいか、未来の自分に会いたいか…とも言えます。

私は断然未来派です!自分がいてもいなくてもいいのです!未来がたとえどれほど絶望的であっても、もし可能なら未来を見てみたいです。

未来を目指す以外にこの世界に生きる理由はない、そう思うほど未来は大切だと思うのです。子育てという大変なことをやっているのも、未来があるからです。そして未来を決定づけるのは現在です。現在なにをするかによって未来は決まるのです。

未来に行き悲惨を目の当りにしたならば、その因は現在にあるということです。

児童文学者あさのあつこの作品には近未来を舞台にしたものがいくつかあり、いずれも格差社会が固定化し、技術と引き換えに人間は完全監視下に置かれています。安全と幸福は必ずしも一致しない世界となっています。こういう作品を読んで気分が沈んだときも、空に太陽が(たとえ雲にさえぎられていても)あり、数々の天体が動いていると思うと気持ちが上向きます。お天気なんてその際関係ないのです!

でも、今という時間や場所に縛られているとお天気に一喜一憂もします。外の空模様が怪しくなってきました…

季節の変わり目は体も心も不調になりがちです。未来に思いを馳せて深呼吸してください。