家事の分担をめぐる夫との大げんかでわかったことは、人生は喜劇であるということ。

こんにちは。BeBRAVE.S代表の明正明美(みょうしょうあけみ)です。

 

先日家事の分担をめぐり夫と大喧嘩をしました。

すごくすごくよくないことで反省すべきことですが、娘を巻き込みました。

娘は情緒不安定になり、泣き出しました。

その日はとりあえず娘に謝り、絵本を読んで落ちつきました。

翌日。

風邪気味の夫はマスクもせずに、咳をしながら朝食を作っていました…

今、そこで、そんなにムリしなくていいのに…

(しかも、朝食の話はむかしのことなのに…)

その後、冷凍庫にぎっしり冷凍食品が入ってました。

50個のがんもどきがはいった特大袋。

シュウマイも特大袋。

ロールキャベツも…

業務用スーパーに行ったみたいです…

近所のフツーのディスカウントスーパーではなくて。

しかもなぜか瓶入りのゴマが…

うちには白ゴマも黒ゴマも大袋でストックあるのに…

夫の、「なんかしなきゃ…」って気持ちはわかるんです…

でも…

ああ、私はひとり相撲をしてました。

これだから、人生というのは喜劇なのです。

朝の連ドラ「おちょやん」では後の松竹喜劇が家庭劇という名で出ています。

でも、わざわざ「喜劇」などと銘打つ必要などないのです。(そういえば、さいしょ主人公ちよは「家庭」を「いえにわ?」と呼んでましたね。当時「家庭」という言葉は出始めたばかりだったのですね。今当たり前に「家庭」という言葉を使っていますが、比較的新しい言葉なのですね)

家庭劇というのはそもそも喜劇なんです。

朝日の意識高い系週刊誌「アエラ」の最新号の特集は「夫には協力よりも当事者意識がほしい」です。

私もこのタイトルには賛同します。

しかし、そうはいっても、シェイクスピアではありませんが、皆が人生という舞台の役者であれば、その舞台の上では思いがけないことが起こるものです。

当時者意識がほしいといっても、役者には役者なりの思いがあるのです。

どうしたって、かみ合わず、うまくいかず、当人たちにとっては悲劇でも観客から見れば喜劇です。

朝日の記事がどこかつまらないのはそこです。

みなが喜劇の主人公なのです。

ああ喜劇。

50個のがんもどきが喜劇でなくて何を喜劇と言おうか。