食事の主役は子どもであれ高齢者であれ、とにかく食べる人です

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

昨日から冷たい雨が降りそぼり、気の滅入るような天気です。とはいえ、天気は天気、自然現象です。気分を変えていきます。

毎日毎日受け止める暇もないほどにさまざまなニュースが流れてきます。衝撃的な事件も新たなニュースですぐに過去のものとなってしまいます。

それでもやはり、小さな子どもが命を落としてしまう事件は心に残す傷跡が大きいように思います。

1週間前に1歳の男の子が保育園で、離乳食の焼肉風炒めを誤嚥し、亡くなってしまうという事故が起きました。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20241115/7000071303.htmlhttps:// 

子どもの誤嚥による事故死はとても多いのです。乳幼児施設や小学校ではよく起きています。障害児施設や高齢者施設でも同様です。

私もそういう施設での勤務経験がありますので、すごくすごく当事者意識があります。

この事件に対してというのではなく、施設勤務経験から思うところを少しお話ししたいです。

私がはじめて保育施設に勤務したときに、もっとも衝撃を受けたのは食事介助でした。1歳未満児クラスでしたので、離乳食から幼児食への移行時期です。

批判されることを承知のうえで言います。フランス料理に出てくるフォアグラをご存知ですか?ガチョウに餌を大量に与え、肝臓を肥大させて食する世界的な美食として有名な料理です。料理の本でガチョウがくちばしから餌を詰め込まれているイラストを見たことがありますが、はじめて離乳食介助をみたときに思い出したのがこのイラストでした。

子どもに規定の栄養分としての食事をきちんと摂らせるという規範がどのような施設においても非常に大きいと感じます。

個々のスタッフがどうこうというのではなく、そういった「規範」が空気のようにまとわりついていて、それが施設スタッフにとってのストレスとなっている部分もあると思いました。もしかしたらご家庭でのお母さまもそうかもしれません。

同時に思うことは、規定どおりに作って提供するという「規範」に栄養士や調理師も非常に縛られていて、それはもしかしたら食事をする当事者たちを欄外に置いてさえも重要視されているのではないかと危惧するのです。

嗜好調査や評価のアンケートなどは実施されているのですが、それらはとても形式的で、形骸化といってしまっていいほどに当事者たちが蔑ろにされているような気がするのです。

私がこのように感じるのは、中学3年生の娘のこともあるからです。

家での食事に関しては、多少の好き嫌いはあるもののごく普通であると思っています。しかし、給食はほとんど食べることができていないのです。給食のときに摂取することが決められている牛乳ですが、飲んだことがありません。給食が全く食べられなくなってしまうからです。お腹はすいているのに学校だとどうしても食べられないのだと言います。原因はともかく、食事量は個人差がとても大きいですし、男子生徒のなかには足りないくらいの子もいると思います。

給食はもっと気軽で自由であっていいのではないかと思います。制限付きのビュッフェスタイルとか、家から持ってきてもいいとか。給食がとんと食べられない我が家の娘ですが、お弁当はいつも完食です。

話が誤嚥事故から逸れたように思いますが、根本はいっしょだと思います。対処療法みたいなやり方では、誤嚥させないよういずれドリンクやスムージーみたいなものだけになってしまいかねません。あるいは錠剤で栄養分だけ摂らせるとか‥

今回の事故はまだ調査中ということですので、自分自身の感じることを書きました。

お子さまを亡くされた親御さんを思うと言葉もありません。

子どもたちが安全に楽しくおいしくごはんを食べてくれることを心から願います。