こどもは”授かりもの”ではなく”預かりもの”

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

子どもは授かりものという言い方をしますが、これは不妊治療をしている人にとっては少しつらい言葉かもしれません。

ある教育月刊誌に東京都の子育てひろば「あい・ぽーと」施設長で発達心理学や母親の育児ストレスなどを研究している大日向雅美さんの記事が載っていました。

そこで大日向さんは、「子どもは”授かりものではなく”預かりもの”である」とおっしゃっていました。

私たち大人は、子どもの命を預かっているのです。その大切な命に、みんなで愛情たっぷり注ぎながら、育んでいきましょう。このように記事は締めくくられているのです。

子どもを授かりものであると受け止めると、授かった人と授からなかった人がいて、授かった人も、授からなかった人も、子どもというものを家庭などに帰属するものと考えて、みんなの子どもという概念が育たないのだなと思いました。

アフリカには、自然は先祖から受け継いだものではなく、未来の子どもから預かったものだということわざがあります。

自分が産んだ、自分の遺伝子を受け継いだ子どもでも、「預かる」という受け止め方によってより謙虚になれるような気がします。

自分の子どももそうですが、隣の子どもも、地域の子どもも、日本の子どもも、世界の子どもも、それはみな、未来からの預かりものという受け止め方には授かりもの以上のうれしさがあります。

この地球に生きている以上、子どもも資源もなにもかも預かりもの、これってとってもステキな考え。

民法の考えには真っ向から対立しますね(笑)

でも法律がすべてではない。法律はこの世界を生きる上でとっても重要で、命も守ってくれるけど、だけど、万能じゃないってこと。

大日向さんは、2019年に始まった厚労省の「体罰等によらない子育ての推進に関する検討会」の座長を務め、その場において、体罰を禁止したスウェーデンの話をしたそうです。

スウェーデンといえば福祉の模範国みたいですが、はじめっからそうだったわけではないのです。

1979年にはじめて「体罰の禁止」を決めました。これによって、かつては認められていた夫が妻を殴る権利!、雇用主が従業員を殴る権利!などが排除されたのです。

権利というとなんだかステキな響きで、人権などが思い浮かびますが、殴る権利も権利なのですね…

日本でも「しつけ」の名目で民法で認められていました…

教育評論家の尾木直人さんはけっして子どもに手を挙げない方です。

尾木さんのお父さんは教育者でしたが、父親が(尾木さんにとっての祖父)口で言えばわかることなのに、暴力をふるうのが理解できず、とても嫌で、自分は絶対に暴力をふるわないと心に固く決めたのです。なので、尾木さんのお父さんは一度も尾木さんに手を挙げたことはなく、その代わり、なんべんでもわかるまで言うぞと、口癖のように言っていたそうです。だから尾木さんもお子さんには手を挙げません。

人間ですから間違いはおかします。手を挙げちゃった人もいると思います。凹む気持ちはわかりますが、前を向こう。言い訳せず、手を挙げてしまった自分を認めよう。そして、目の前の子どもを未来からの、神様からの預かりものであると何度も何度も自分に言い聞かせよう。授かりものではなく預かりもの。いつかはお返ししなくちゃいけないのです。大事にしよう。

法律は万能ではないけど、強い味方です。

2019年6月、児童虐待防止法が改正され、しつけの名前で体罰が禁じられました。体罰によるしつけが正当化されていると、夫が妻を殴るのもしつけになってしまいます…

体罰をしてしまった人を罰するものではなく、「今の時代の子育ての大変さに理解を示して、大変な親御さんをみんなで支えよう」という趣旨です。

体罰はいけないことですが、手を挙げてしまったらもう終わりではないのです。体罰を根強く容認する人もいれば、一度の過ちを厳しく糾弾する人もいる、でもそうじゃない人もいる。必ず味方はいるのです。