ワーキングマザーのみなさん、こんにちは。
BeBRAVE.S代表の明正明美(みょうしょうあけみ)です。
みなさんは、職場や親戚の集まりで、PTAや学童の保護者会で、お稽古事やフィットネスなどのちょっとした場面で、年配の女性(あるいは男性)をみて
「こうはなりたくない」と思ったこと、ありませんか?
私は正直に言いますと、あります。
ステキな方を見れば、「こうなりたい」と憧れますが、年老いた頑固な方などを見ると、つい「こうはなりたくない」などと思ってしまいます。
まるで自分はそうならないかのように。
でも、「こうはなりたくない」なんて思っていますと、100%に近い確率で、「そうなります」
10年、20年前の自分に、今の自分をどう思うか聞けば、必ず私は「こうはなりたくない!!」って絶叫しますから(笑)
結局のところ。
年老いた人を見て、「こうはなりたくない」と身震いするよりも、
年若い人を見て、この人たちから「こうはなりたくない」とは絶対思われたくない!!と、身を引き締めるほうがいいのです。
子ども叱るな、来た道だもの
年より笑うな、行く道だもの
このような言葉があります。
若い人が老醜を嫌がるようなことを言うと、あなたたちもいつかそうなるのに…と、非難がましい気持ちになります。
年寄りが年寄りゆえの老醜を見せると、まるで自分は例外であるかのように年老いた人を嫌います。
でも、どちらも、どこかで自覚と後ろめたさがあるからこそ出てくる態度なのですね。
100歳のちょうど真ん中の50歳は、若者の冷たさ、無知からくる強さ、年老いた人の哀愁がなんとなく見えます。
春は出会いと別れの季節だからか、他の季節よりも感傷的になりやすいようです。
花粉症のつらさもあるかもしれません…
今年もさくらが可憐な花を見せ始めています。
これが最後のさくらかもしれない、このように思って毎日を生きるべきなのですね。
高齢の方や病気の方だけのお話ではありません。
明日があると信じて疑わない年ごろはとうに過ぎたはずなのに、いまだ能天気な気持ちで毎日をただやり過ごす。人は年を重ねただけでは成長しないようです…