こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。
コロナ感染が急拡大しています。連日の感染者数の発表を聞いていると不安になりますが、2020年当初から一部の専門家は、コロナは長期化するだろう、感染拡大と縮小を繰り返しながら徐々に収まっていくだろうと予測していました。
決して想定外の事態ではないということです。
私たちがやるべきことは同じです。
2年前と変わりません。ワクチン接種が加わっただけです。ワクチンは自分の健康状態を考慮して受けていけばいいのです。手洗いはしっかり行い、エアコン稼働中も定期的な換気を行い、マスクは自分で考えて常識で判断すればいいのです。食べて飲んで体を動かして眠る、ストレスをためないようにして、免疫力を上げる。これだけです。
でも感染者数や報道姿勢に浮足立ってしまう人も多いようです。
ある教育関係者の方が、「経済なんて言ってる場合じゃない。感染拡大防止がいちばんだ。国(政府、行政)はなにもしようとしない」と愚痴をこぼされていて、確かにそうなのだけど、違和感が残りました。
その方の言う「経済」とは、もしかしたら「株価」や「儲け」「投資」といったもの、ニュースで耳(目)にする日本経済といった限定的なものではないかと思ったのです。
経済を優先すべきか、感染防止を優先すべきかはコロナ感染では常に議論されており、平行線をたどる不毛な言い争いになっています。
でもこの経済 VS 感染防止 自体がおかしいのです。感染防止はコロナで死なないためにやるのではないのです。コロナで死ななければそれでいいわけではないのです。誰もがほんとはわかっていることです。
経済どころではないと言った方は、自分がもらっているお給料や、生活必需品を購入すること、住宅ローンや家賃、こどもの教育費といったものを「経済」とは考えていないのではないかと思います。
経済というのは、一部の専門家や投資家が扱うもので一般人には関係ないものと思っているのかもしれません。
子ども向けに特化して図書館で経済の本をいくつか借りてきました。
そのなかで、クレヨンハウスから出版されている、エコノミスト・経済学者浜矩子さんの「大人は知らない・子どもは知りたい!お金さえあればいい?子どもと考える経済のはなし」がコロナ禍の今、子どもと読むにはぴったりの本かなと思いました。
この本の中でおもしろかったのは、「シェア」についての説明です。
シェア・SHAREは、英語で分かち合うという意味(動詞)ですが、名詞だと、自分の取り分を意味するのですね。
若い人たちは、シェアといえば、部屋のシェア、車のシェア、エコノミックシェアリングといったように、共用で使う、つまり「分かち合う」の意味でよく使っているかもしれません。
名詞のシェア、「自分の取り分」だと、ビールのシェアは主要三社が占めているとか、通信業界は大手のシェアで占められているといったかんじです。
「分かち合い」のシェアも増えていますが、奪い合いにつながる「自分の取り分取り分」のシェアも依然として多い、というか、そちらのシェアも増加しているのです。
動詞のシェア、分かち合いを多くしよう!というのが浜さんの提案です。
なぜなら、人と人との出会いをつくるのが経済だから。
お金は人と人がものやサービスを交換するためにあるのであって、お金のために人やもの、サービスがあるのではないから。
主役は人であって、お金はわき役で手段。
でも、お金を主役にしてお金に働いてもらう、投資教育ばかりが注目されてます…
経済はイコールお金ではない。ほんとはみんなわかっているはずなのだけど、経済は?って聞くと、そろそろと、自信なさそうに、あるいは当り前じゃんみたいに、お金?とか答える。
ほんとは違うかもって思ってるのにね…
人がものを作り、作ったものを分かち合うのが経済活動。
大事なことは、人の経済活動のためにお金が存在するってこと。逆ではなくってね!
だから、経済か!感染防止か!なんて思考停止はやめて、みんなで過ごすには、みんなが活動するには、どんな感染防止が必要かな?って、みんなで考えよう!