この社会のあらゆることが誰かの仕事で成り立っています

こんにちは。BeBRAVE.S代表の明正明美(みょうしょうあけみ)です。

きょうは働くこと、仕事について、自分なりの考え方をお伝えします。

 

私は20代のころ、ミスタードーナツ(ミスド)で早朝アルバイトをしていました。

ミスドでは従業員のことを「働きさん」と呼んでいました。

はた(傍ら・かたわら)の人をラクにするから「はたらきさん」なんです。

この言葉自体は昔からあるようですが、ミスドで初めて聞いた時には、なるほどな~と思いました。

この社会は、あらゆることが誰かの仕事で成り立っていて、いろいろな形で誰かの手に渡っていくもの。

誰かの働きを「ないもの」とすることはできません。

直接お金を払っていないから「タダ」ではないのです。

図書館の本を借りる時にはお金を払いませんが、これがタダではないことは多くの人が知っています。

公園も入場料を取りませんが、タダではありません。

当り前です。

医療機関では治療費を全額支払う必要はありません。

病院からのディスカウントサービスではありません。

職場での掃除やお茶出しといった雑用、家庭でのさまざまな作業など、みな同じです。

この程度でいい。

こんな仕事、なんの役にも立っていない。

有償であれ、無償であれ、このような考えで仕事をすることも、誰かの仕事を評価することも、要領主義・虚無主義の考え方であり、自分自身も含めて人間を貶めています。

夫が稼ぎ、妻が家事育児など、外で稼ぐ以外のことをやる。

これは役割分担ではありません。

家事労働を不当に貶めています。

外で稼ぐことができないなら、家で下働きしてろ、こういった考えです。

なので、自分が稼げなくなっても家事労働には抵抗がありますし、妻が稼いできても、家事労働をしないことにはすんなり納得ができないのです。

価値のない働きなどない。

これが根本です。

価値のある働きとない働きがあるのではありません。

ちまたでよく使われている「カジハラ」については、

夫の家事手伝いにダメ出しするのが家事ハラ…ではないのです!

をお読みください。

男性の家事参加、育児参加という言い方をいまだに聞きますが、これは女性が家事育児の担い手であることを前提とした言い方です。

子どもの「お手伝い」も同様です。皿洗い、後片付け、洗濯ものたたみ、これらはすべて家庭における業務、仕事です。お手伝いなどと子どもに媚びた言い方はこの際うっちゃってください。

家庭においては父母、祖父母、子ども、誰もが担うべき仕事があります。

稼いでる、食わせてやってるとか、言わないまでも内心思ってる人はいっぺん全部外注にしてみてみてください。バカらしく思うはずです。料理も掃除も育児も稼いだお金はほとんどなくなりますから。そんなバカらしいことを無償でやってる、その人はあなたにとってなんなのでしょうか。