宿題が終わらないなら終らないでいいのです…たかが宿題です

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

小中学生や高校生などの夏休みもいよいよ終わりです。宿題が終わっていない!というお子さんもきっといるでしょう(笑)

本人以上にお母さんが気をもんでいるのではないでしょうか。

お盆頃テレビのニュース番組で、「夏休みの宿題が順調ではない」という話題を取り上げていました。読書感想文や工作、絵画、楽器練習、自由研究などが終わっていないというもので、お母さんが奮闘しているという内容でした。

ニュースキャスターたちは、お母さん大変ですね~とのんきなコメントでした。子どもの夏休みの宿題を親が(ほとんどは母親です)手助けしたり、代行してしまうのを当たり前のこととし、夏の風物詩とさえなっているようでした。

親が手助けしないとできない宿題というのが実態ではないかと思います。評価されているのは子どもではなく、子どもを通して母親が評価されているようです。

かつて、元小学校教員だった方からも、はっきりと、親の関与が賞などに関係すると聞きました。

いったい宿題とはなんなのでしょう。

宿題を出す先生方の中にも、おかしい、バカバカしいと感じていらしゃる方がいるのではないでしょうか。

程度の差こそあれ、これは昔から蔓延している日本の悪しき習慣だと思います。

私が小学生だった頃、我が家はほとんど放任で、親は子どもの成績にとんと無関心でしたが、そんな家庭でさえも、母親は教師の目を気にして宿題を手伝ってくれたことがあります。(低学年のころ、たま~にですが…)

同じ学年の全児童・生徒に一律で出される宿題を「提出」することが儀式のようになっており、その儀式は人によってはちょっとしんどいのですね。

小学校中高学年や中学生になると、ワークなどの答えを丸写ししたり、コピペや、今なら生成AIを使うなど、要領よく「提出」することはできます。不器用な子は真面目にやろうとして苦しみます。

私は自慢できることではありませんが、宿題はほとんどやりませんでした。宿題をやる代わりに罰を受けていました。それでも宿題をやるよりは、やらないで好きなことをしているほうがよかったのです。不利益は被りますが、自分にとって、わからない宿題に苦しむことは、罰を受けたり、叱られたり、評価を落とす以上の不利益でした。

「宿題が終わらない」でインターネット検索すると、「終わらせて提出する」方法がいっぱい出てきます。どれも「やること」「提出すること」を前提としています。

やる義務もないのに…

社会的には出された宿題をきちんとやって提出することは正しいことです。

でも、正しいことはほどほどに…