環境が変わるとガラッと変わるものは?

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

まんまるいお月様がにっこりの中秋の名月、ステキでしたね。

残暑がからだにこたえますが、昼の時間は徐々に少なくなっていき、気づいたときには、きっと秋の気配に染まっているのでしょうね。

きょうは、ソ連・レニングラード出身のクリエイティブ・ディレクター、コピーライターの、ナージャ・キリ―ロバさんの「6か国転校生」という本のことを少しご紹介します。

ナージャさんは、数学者の父と物理学者の母の転勤のため、6歳でロシアの小学校に入って以来、15歳までのあいだに、日本(京都)、イギリス、フランス、日本(東京)、アメリカ、日本(東京)、カナダ、日本(札幌)と、めまぐるしく学校を変わっています。そこでの経験を書いた本ですが、教育について書かれた本として読むと、非常に興味深く、私は教育関係の本を読むことがけっこう多いのですが、そのなかでも突出して、面白いなと感じました。

日本の教育をヨーロッパやアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの教育と比較した本は多く、アジアなどに駐在した人の経験として、中東や東南アジア、中国や韓国と比較した本もわりかし多いのですが、日本とアメリカ、イギリス、ロシア、カナダ、フランスを一堂に比較した本、とりわけ教育を受ける側がこれだけの国の教育を比較したものは初めてです。

これらの国々を各家庭に置き換えると、別の面白さや気づきがあります。

私個人として、面白いな、興味深いなと感じたのは、ロシアと日本の共通点です。もちろん全く異なる部分も多いのですが、イギリス・アメリカ・フランス・カナダと、日本・ロシアで異なる部分に国民性みたいなものを感じました。例えば、学校での給食、ランチが非常に自由である西欧諸国に対して、ロシアと日本は多様性を許さない点で共通しているのです。日本はやや緩やかにはなりましたが…ロシアも食べ終わるまで席を立ってはいけないとか強制的でした。体育の時に整列するのは、ロシアと日本だけでした。(しかし、整列の順序は真逆です。ロシアはなんと、大きい子から並ぶのです)

ロシアは現在、とんでもない暴挙により、世界を敵にして孤立しているので、ロシアと似ていると言われると不愉快でしょうが、かつての日本も、自分たちの理論でもって世界を敵に回して孤立していました…どの国にも、後ろめたい歴史はあります。あまり正義を振りかざすとあとで困るのでほどほどに…

さて、本題です。

ナージャさんがとまどった、最初の各国の「違い」ですが、それは筆記用具でした。

ロシアでは「ペン」を使わなければなりませんでした。しかし、転校先のイギリスは「えんぴつ」です。日本もですね。日本人にとってえんぴつは常識です。でもロシアでは、学校でえんぴつを使うのは非常識であり、ペンを使うのが常識です。

どっちが非常識なのでしょうか?ペンを使うロシア?えんぴつを使うイギリスや日本?(アメリカとか、他の多くの国がえんぴつですよね)

ペンを使うロシア、その心は?

書いたものは消すことができない自分の意見として永遠に紙に刻まれる。だから、意見はそれなりにしっかり考え、考え抜いた文章が残る。ペンで書くことで論理的に考えることを身につける。

では、えんぴつを使うイギリスや日本、その心は?

ちょっと書いてみて、違うなと感じたら消して、、また別のことを書ける。えんぴつは消すことができるのがいちばんのメリット。すぐにトライできる。エラーしてもすぐにやり直せる。トライ&エラーがえんぴつのねらい。

こういった違いにも考え方の違いというのを感じます。

私は一度だけ、ペンで書く試験を受けたことがあります。修正液は使えず、二重線で打ち消すことになるので、緊張します。エラーはめったに許されません。頭の中で論理を組み立てて、間違いないと確信しないと書くことができません。日本でもえんぴつが許されないものいっぱいあります。そちらのほうが多いです。会社でのレポート、役所での書類、他にも。これはロシアの心と同じです。ロシアでは、小中学生の通常授業での作文、答案用紙にもこれを採用しているのです。

ロシア人のこのようなものの考え方を知り、理解することは、外交上非常に重要です。日本人の「水に流す」というような考え方が一切通用しないのです。ウクライナ大統領は、誰もがウクライナに勝ってほしいと思っているが、誰もロシアとは戦争したくないと、ワシントンポストのインタビューに答えていたそうですが、交渉が非常に難しい国であることは間違いなさそうです。

ナージャさんはこのペンとえんぴつの違いから、次のような考察をしています。

えんぴつで書きやすくするか、ペンで考えやすくするか、書く道具がそのプロセスを決める。デジタルツールの登場で何が変わるのか。ツールが変わればアウトプットが変わる。それはどう変わるのか。子どもたちはそこから何を学ぶのか。

日本ではコロナ禍をきかっけに、教科書のデジタル化も始まってますが、デジタル VS アナログってかんじで、紙で読んで手で書かないと頭に入らないだとか、いや今や世界はデジタルだ!とかってやってるだけです…

座席なども日本・ロシアは整列(日本は基本1人、ロシアは基本2人、しかも男女ペア)ですが、他の国はグループだったり、円形だったり、いろいろです。これも実は各国、なにを学ばせたいかという目標に応じてやっています。

真剣に聞いてほしい日本とロシア、発言してほしいフランス、チームワークで助け合ってほしいイギリス、教科によって効率よい学び方を取り入れているアメリカ…

ナージャさんはめまぐるしく学校を変わっていますから、どこの国でも慣れるまでは大変だったようです。

最後に、ナージャさんからのクイズです。

環境が変わるとガラッと変わるものは?

 

答え:ふつう

転校するたびに、これまでの「ふつう」が「ふつう」じゃなくなってしまうのです。

「ふつう」に苦しむ人は今の日本でもいっぱいいます。

生まれ育った家庭で「ふつう」だったものも、一歩外へ出れば「ふつうではない」ことが多いのです。

でも、それでいいじゃないですか。

人には人の普通がある。各家庭には各家庭の普通がある。それを尊重し、過干渉せず、ふつうを決めつけない。ただそれだけのことです。(それが難しくて問題頻出なのですが…)

とっても長くなってしまい、すみませんでした!

空を眺めて一息ついて、お体を大事にしてください!