障がい者であろうと健常者であろうとアートはアート

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

先日知り合いの親子による個展、二人展を見に行ってきました。

趣味で油絵を続けているお母さんの影響で、娘さんも絵を描いたり、貼り絵をしたりしています。

私はお嬢さんの作品が好きで、何点か持っています。今回も気に入ったのがあり、予約してきました。

お嬢さんは自閉症です。

お嬢さんのことは小さいころから知っていますが、「手のかかる普通の子」としか思っていませんでした。私は保育士資格を持っていますが、専門職といってもこんなものだと思っています。

お母さんも保育士さんですが、他の方から指摘されるまで気づかなかったとか(笑)

なんだかおかしいですね(笑)

のんきというか、なんというか…(笑)

でもそれくらいのほうがいいのかなと思います。

ところで、みなさんは「障がい者アート」というものをご存じですか?

障がい者アート協会というのがあり、障害のある方に、作品を発表したり、発信したりの場を提供し、創作活動によって経済的な利益を受けられるように支援する組織です。

このような支援の場は必要だなと思います。

人材派遣会社のパソナも障害のある方に雇用を提供し、その一環としてアートを手掛けています。

こういった取り組み自体はとても有効であり、いいなと思います。

「才能に障害はない」とのコンセプトで、うまいコピーだなと思います。

ただ、一方で、「障害者アート」という言葉が独り歩きしている感もあります。

才能に障害がないように、アートには障がい者も健常者もないです。

親子展のお二人の作品も、サインや解説がなければ、どれが誰の絵かわかりません。

そもそも自閉症のお嬢さんの作品は障がい者アートでしょうか?

障がい者アートの定義はわからないのですが、障がい者の作品というならそうです。でも、そんな区分けが必要でしょうか?

発信の場、発表の場があることは必要ですし、そういった情報を提供していくことも必要ですが、「障害者アート」という区分を作ることはアート(芸術)の幅を狭めることになると思います。

オリンピックとパラリンピックのように明確な線引きができません。

商業的利用にあたって正当な権利を得られるよう支援されるべきではあるけど、アートはそれだけではないですよね。

ゴッホ自身はなにひとつ商業的な利益を得ていませんが、そのこととゴッホの絵の価値は何の関係もないのです。

小難しいことを長々と書きましたが、先進諸国においてアートは(絵も音楽もその他のものも)受け手であることが圧倒的に多い中で、自らが発信するというのは、そのこと自体が人生を豊かにすると思うのです。とっても個人的な見解ですが、そう思います。

(個展の前に、知人のオカリナ演奏も聞きに行ったのですが、これもとってもステキでした。我が家に眠っているオカリナを久しぶりに掘り出して眺めてみました)