こんにちは。BeBRAVE.Sの明正明美(みょうしょうあけみ)です。
北陸地方はここ数年、ゲリラ的な降雪・積雪が多く、油断なりません。暖冬に慣れた北陸人は都会人よりも始末が悪いものです…自分自身を省みてつくづく実感します…
さて、お正月も過ぎ去り、鏡割りも終わり、あとは左義長を残すのみです。
それと、もひとつ残っているのが…子どもたちのお年玉の扱いです。
子どもにとってはそれなりに大きな金額になったことと思いますが、お年玉の行方ははどうなったでしょうか。
すでに子ども名義の口座に入っている、少しはお小遣いとして渡してある、ちゃっかり親名義になっている…各ご家庭ごとに違うと思いますが、お年玉の扱いは、子どもが成長するにつれ、親子間でもめることが多くなります。金額がそれなりに大きくなると、子どもは舞い上がり、浮足立ちますし、親はなおのこと、舞い上がり浮足立ち、そして心配でたまらなくなります。
きょうはお金の教育についてお話をします。
日本人はお金のことは子どもに教えない主義だと言われます。
でも、それってすごく狭い見方です。戦後の高度成長期以降はそうかもしれませんが、戦前まではこどもといえども家族の一員としてお金のことをわかっていました。
ごく短い期間のことだけを取り上げて、だからこれではいけない、お金の教育だ!投資教育だ!となり、子ども向けの株式講座が大繁盛…というのは、なにか違うというか、まったく転倒した話だと思うのです。
私は現在、大学法学部通信教育の最終段階にあり、一般教養科目で経済学を学んでいますが、この年末年始はレポートに四苦八苦しました。
もとより経済オンチです。
なのに、数式やグラフを使って余剰分析をしろだの、外部不経済を説明しろだの要求されるのですから凹みました。できないことをやれと言われて困るのはこどもも大人も同じです。
書店や図書館には一般向けの、数式もグラフも出てこない経済学入門書しかありませんし、ネット上には専門書がいっぱいありますが、歯が立ちません。
どれも帯に短し、たすきに長しです。
それでも、書かなければ単位とならず、いつまでも卒業できないので、コピペらしきものを駆使してとりあえず、規定の字数を埋めました。
そんななか実感したのは、経済というのは小さい頃から生活の中で身につけるものであり、身をもって学んだこと、実践したことが、後に数式やグラフを使っての勉強につながるのだということです。
毎日使う貨幣も、ニュースで見聞きする株価の変化も、国の金融政策や財政政策も、すべてが経済学の領域です。
私たちが家庭や職場で「経済」という言葉を使うときは、とても限定された意味で使っています。
いわゆる「経費があまりかからない、節約気味の、お安い」といった意味です。そんな高いのは不経済だとか、安くて経済的とか、そんなかんじです。
経済の元々の意味である、経世済民=国をおさめて民を救うという意味は忘れ去られています。
生活に必要な財やサービスを生産し、それを消費することで人々の生活がまかなわれるという、基本の基本が置き去りにされ、まるで金儲けばかりを考えているのが経済であるかのような間違った認識が横行しています。そして、元々の意味とはまったく異なる節約なるものを経済という言葉で表しています。
基本に立ち返れば、子どものお金の教育の第一歩は金銭教育ということになると思います。
小銭や紙幣の計算は算数の繰り上げ・繰り下げを学ぶのに非常に適しています。
お金をくずすとか、こわすとか言いますが、95円から18円引くときや、95円と18円を足すときなど、お金を使うとそのからくりがよくわかります。
まずは500円ぐらいのお小遣いからはじめて、金銭の計算が難なくできるようになれば、少し金額を大きくして計画的な使い方を覚えるのが順番としていいと思います。
最初から貯めるとかはあまりおすすめできません。
ゲームソフトを買うためにお小遣いをためて、他のものは親のお金で賄おうとします。子どもだってそれぐらいの知恵はありますから。
投資は基本的には、たとえ子どもといえども、自分の稼ぎでやるべきであると思います。
どうしてもというなら、親から借りるという形にして、損失が出た場合は、なんらかの形で責任を取らせる必要があると思います。
それはなかなか難しいことです。
やはり、子どもに投資教育というのは順番的におかしいと思います。
高校生ぐらいになって、アルバイトをするようになれば、自分が稼いだお金を、利益を生むことを目的に注ぎ込むという自覚をしっかり持ったうえで、経験的にやってみるのもありかと思います。
ということで、なにはともあれ、金銭教育をまずしっかり行って、生活の中で経済というものをしっかり実践して学んでいくのがよいというのが結論です。
これは大人もいっしょです。