こんにちは。BeBRAVE.S代表の明正明美(みょうしょうあけみ)です。
ちょっと自分のことを話します。
私は現在法学部の最終学年に在籍しています。
通信教育部ですので、いくつかのスクーリングを受ける他、勉強はもっぱらテキストを読んでレポートを書いて提出して、試験を受けて、単位を取得するという方法で、かなり苦戦しています。
特に、必須となっているスクーリングが(遠方であり時間もお金もかかり)ネックでしたが、皮肉にも世界中を恐怖に陥れた新型コロナウィルス感染をきっかけとしてオンラインが主流となり、一気に単位取得が進みました。
主だった法律はすでに習得していますが、民法は必須科目であり、非常にボリュームのある法典ですから4年かけて学びます。
総則、物権、債権ときて、最終学年でようやく相続・親族となります。
総則で厳しい評価を突き付けられ、しばらく凹んでいましたが、物権・債権で少し持ち直したのも束の間、相続・親族で頭を抱える羽目になりました…
なぜなら…
レポートの課題が「離婚」だからです。
離婚について述べるにあたっては、それに先立って婚姻(結婚のことを法律用語では婚姻といいます)とは何かを述べなければならないのですが、そこで躓いたからです。
婚姻とは何かを民法は規定していません。
ただ、婚姻の効力という規定において、夫婦の同居や協力、扶養の義務があるだけです。
ですから、離婚裁判などで裁判官が「婚姻とはいかなるものか」を判示しています。
それを読んで私は脱力し、白々しい気分にならざるを得ませんでした。
人によっては感動するであろう高尚な理念であるにもかかわらず、です。
「婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思を持って共同生活を営むことにある」
あまりに建前すぎるものを「本質」としてしまうことの危うさを感じます。
しかしこの「建前」を「本質」としている以上、離婚は場合によってはややこしくなるばかりです。
婚姻によって大きな権利と義務が生じ、それゆえに離婚が困難になることは承知していましたし、納得もしていました。
でもまさか、婚姻がこれほど高尚なものとして扱われていることに、正直なところ腰を抜かすほど驚いています。
法学部にいてさえこのような認識ですから、世間一般の人の認識のほどが予想できます。
民法の債権や物権とは明らかに異なる考え方に戸惑うばかりです。
そして、自分がこのように戸惑い狼狽するのは、やはり「離婚」と常に隣り合わせだからです。
冷戦状態はこれまで何度もありましたが、お互いの年齢や子どもの年齢で先行きは変わってくるのです。
私は「婚姻」について、確かに多大な権利と義務が生じはするけれども、男と女がいっしょに暮している、子どもをいっしょに育てている、その程度のものと考えていましたし、今もって、その考えは変わりません。
夫婦が子どもを育てている単位が家族・ファミリーである。その程度です。
子どもがいなくても夫婦なら同じ戸籍なので家族・ファミリーのはずですが、どうも夫婦だけだと家族・ファミリーのお仲間とは見てもらえないようです…
世間では「家族の絆」を何ゆえか、持ち上げ、ほめあげ、ファミリーという外来語がかなりの市民権を得ていますが、私には相いれないものです。
私がこの仕事においてサポートしうるのは「家族・ファミリー」ではなく、ひとりの人間です。
さしたる深い考えもなく始めた事業ですが、ここにきて、家族法の壁にぶち当たって、あれ?私、ファミリーの応援してるの?
ファミリーって何?などと自問しているわけです。
事業で悩み、法学のレポートで悶絶し、ああ苦悩の人生よ…と悲劇ぶっていますが、おおむねこれは喜劇です。
書かねばならないレポートは「離婚」のみにあらず。
国際法も租税法も消費者法も他にもいっぱいある…
どんまい。