押し付けられたやり方が合わないのは当たり前。安価・身近なもので自分流に!

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

 

きょうは、人それぞれの学び方ということについてお話をします。

ワーキングマザーのみなさんは、お子さんの教育に加え、自分自身のキャリアアップにつながる学びについても悩みがあるのではないかと思います。

今は情報があふれている時代なので、どうしても外部の雑多な情報に心が揺れてしまいます。

私は学びについては、年齢を問わず基本的に次のように考えています。

学び方は人それぞれ。

これにつきます。

この世界は多様性で成り立っています。

最近よく、多様性が大事だとか、わざわざ英語でダイバーシティなどと言って、あたかも新しい画期的な考え方のようにもてはやされていますが、生物界においては当たり前のことです。

当たり前のことを声高に強調しなければならないのは多様性という当たり前が危機にあるからです。人間は自然界に対立して発展してきましたから多様性を無視するのは昔からのことですが、なんでもやりすぎは弊害があります。弊害が大きくなった、そして、今まで画一的でそこそこうまくいっていたけど、支障が出てきた、ということです。

決して最先端の流行りではありません。自然界のルールそのものです。

ただ、そうは言っても、教育を提供する側は多様性に追い付くことができません。

小中学校など義務教育はもちろん、高校や大学、専門学校、職場での教育も、あるていど画一的なものでなければ対応が不可能なのです。

これは世界中でほぼ共通だと思います。

画一の程度にはばらつきがあり、日本の場合は同調圧力も大きく、強度の画一性を持っています。

だから、そこに当てはまらないと落ちこぼれてしまいます。

ピッタリ当てはまる人はそう多くはないので、優秀とされる人は少数です。

生まれついての能力はもちろんありますが、どんな能力も環境が合わなければ伸びないのです。

よく成功した人が、自分はたまたま運がよかっただけ…なんて謙遜ぶった傲慢な言い方をしていますが(笑)、本意かどうかは別として、半分は事実だと思います。自分のやり方をみつけたのですから幸運だったのです。

だから。

自分や子どもにはどんな型、やり方が合うのかみつけないといけないのです。

読むのが得意か、見るのが得意か、聞くのは?話すのは?教えるのは?

識字障害などの学習障害、コミュニケーションが難しい発達障害などばかりが注目されていますが、人の能力や得意不得意に違いがあるのはそもそも当たり前です。それが多様性じゃないですか。

集団生活の便宜上画一的にやっているだけです。

日本はイヤなことも多いですが、無料・安価な学びのツールがいっぱいあるという素晴らしい部分もあります。

それなのに、まるで投資といわんばかりに(ほぼ投機)高額なサービスを、自分や子どもに合うかどうかもわからないのに購入する人が多くいます。

奨学金にも残念ながらそういう面があります。

奨学金そのものは必要ですが、投機に使うものではありません。

まずは、お金の負担の少ないものから検討していきましょう!

図書館の本、アマゾン、ブックオフなどの古本。

YouTubeなどの無料動画。

行政などのサイト。

無料講座など。(税金を払っているので無料ではありませんがね)(無料サイトなども同様に、決してタダ、無償ではないですよ。自分自身の情報などを提供しています。)

 

こういったものをやった後に有料のものや少し値の張るものを試しても順序として間違ってはいません。

無料で得られるものは限られている。これは一面において事実です。でも、だからといって、高額なものからは多くのものが得られる、このような結論は導かれません。わかりきったことですが、高額な商品(サービス)を売り込む側はこのような破綻した論理を深刻な顔で言います。ご注意を。