こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。
先日新聞に、こんなお悩み相談がのっていました。
「中学2年生の息子がSNSで友達の悪口を書いていると学校から言われた。注意してもやめようとしない。どうしたらよいか」
という内容でした。
この相談者さんに限らず、また子どもの年齢を問わず、「注意してもやめない」ということはよくあることです。
解答者は公立中学校の校長先生をされていた方でした。
息子さんが注意を聞き入れないのは、それだけ本人に怒りや不満があるのでしょう。
このようにまずおっしゃってて、思わず、「自分なら、どう解答しただろうか」、もし友人などから相談を受けたらどのように答えただろうかと考えました。
なぜなら、私自身が子どもへの注意でよく悩んでいますし、その際に、「子どもにとってそれはどんな意味があるのか、どの程度の執着なのか」といった、子ども目線で考えたことなどなかったからです。
ゲームのルール違反、忘れ物、宿題をしない、などなど、注意することは山ほどありますから…
解答者の元校長先生は、子どもの怒りや不満に思いを寄せたうえで、次のようにアドバイスしました。
子どもは失敗を繰り返すなかで、相手への想像力を育て、自分を律することができるようになるものだが、そのためには信頼できる大人の支えが必要である。息子さんとじっくり話をして、息子さんの気持ちを一から聴いてください。
子どもの話をじっくり、口をはさまず聞くことは難しいことです。
私も心がけてはいますが、説教したい気持ちと闘うのは容易ではありません。
親など大人がしっかり話を聞いてあげると子どもは安心します。ホッとします。顔を見ればそれがわかります。
しかし。
大人はそこでやめられないのです。
つい説教を始めてしまうのです…
『ケーキの切れない非行少年たち』の著者で児童精神科医の宮口幸治さんは新著『どうしても頑張れない人たち』のなかで、少年院での残念な話を書いています。
粗暴行為の目立つ無口な非行少年に対し、ある教官が言い分を聞く場と時間を設定しました。
少年はポツリポツリと話し始めました。
教官は黙って聞いていました。聞き終わった後、「しんどかったな。君の気持ちはよく分かった」と答え、少年の顔には、話を聞いてもらえた、わかってもらえたという安堵の表情が見られました。
宮口さんはそれを見て、さすがベテランの教官だなと思いました。
しかし、そう思った矢先、その教官は
「でも君にも問題があるんじゃないかな」と、説教が始まり、持論を展開し、少年の顔はみるみるこわばり、がっかりした表情になり、何も答えなくなり、二度と心を開くことはなかったそうです。
少年がほしかったのはアドバイスではない。
自分の鬱積した気持ちをわかってほしかっただけ。
一切何もコメントしないほうがいいくらいだと宮口さんは痛烈に批判しています。
でもこの教官と同じことを多くの大人がしています。
私だって例外ではありません。
ただ話を聞く。
こんなに難しいことはありません。
わかっているのにやめられない。
それがお説教というやつです…