コロナ感染が爆発的に増加しようが、自分にできることをするだけです。

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

今年に入り、新型コロナウィルスのオミクロン株による「爆発的な」感染拡大が起きています。

ちょうど2年前、未知なるウィルスが全世界を襲った時、みなパニックに陥り、ほとんどの活動がストップしました。2年経過し、コロナウィルスの解明も進み、ワクチンも猛スピードで開発され、日本をはじめ先進国では接種もそれなりに進んでいます。

それなのに。

2年前と変わらない状況です。

ちょうど1年前、イタリアの作家で物理学者のパオロ・ジョルダーノの「コロナの時代の僕について書きました。

今もそのときと考えは変わりません。

感染者数の増加は爆発的であるとされるが、それは予測可能なことである。

毎日発表される感染者数に慄き、怯え、ニュースが変われば忘れる。

感染者数に翻弄され、社会機能がストップし、さらに窮地に追いやられる人が増える。

2年前となにも変わっていません。

2年経過していますので、コロナ感染対策の検証は始まっています。

今回、2冊の本を同時に読み進めました。

ひとつは、ジャーナリストが医療と政治を追跡した「コロナ戦記

もうひとつは、医師で作家、厚労省医療技官経験者が書いた「誰も書けない「コロナ対策」のA級戦犯」です。

どちらも、読み始めからいささかうんざりしました。

ジャーナリストは、ドキュメンタリーであるにもかかわらず、カエサルの「ガリア戦記」を気取ったかのような芝居じみた書きようが鼻につきました。

がまんして読んでいくと、医療現場での状況がよく書かれており、引き込まれていきました。

医師は、上から目線の、後出しじゃんけんのような物言いや、正論を振りかざしているところ、トリアージを命の選別の意味で使っているところなどが不快に感じました。

ただ、まえがきに書かれている、「厚労省は本来、先頭に立って指揮を執るべきなのに、なんら系統だった対策を持たず、ほとんど何もしなかった。厚労省のような部門が感染症対策のとりまとめから取り外されるなど、世界的に異例だが(岸田総理は対策の中心を厚労省から財務省に変えることを検討している)当然の選択ともいえる」はおおむねその通りだと思うのです。

2冊とも、医療崩壊は起きた・起きている、との認識は一致しています。(無症状・軽症の人で病棟が埋まり、重症者は医療処置を受けられないまま死亡しているのですから、医療崩壊です。しかも日本は国民皆医療保険です。貧困で医療保険料を支払っていない人ではなく、保険料を納め、病気という保険事故に遭った人が保険給付を受けられずに死んでいるのですから医療は、医療保険は崩壊したのです)(コロナ以外の病気、がんなどが後回しにされたのも同じことです)

その理由は、医療機関の2割でしかない公立・公的病院にコロナ患者が集中(70%以上)したから。この点も両者は一致しています。

では、どうしたらよかったのか?

この点が違っていました。

ジャーナリストはこの問いに答えていません。新自由主義政策で公的医療が縮小されたことは問題にしていますが、ではこのような状況で、医療は・政治は何をすべきだったのかの答えは出していません。遠回しに「政治」を批判しています。

医師は政治が動かなかったのは、厚労省の医療技官といわれる医師免許を持った者が責任を果たさなかったことが大きいと、医師の責任を追及しています。

著者自身が医師であるので書けることでもあると思います。なぜなら、医療批判はほとんどご法度ですから、特にこのコロナでは。医療従事者を称えるのではなく、批判するなどもってのほかです。

しかし、著者が批判しているのは、コロナ対策で激務に追われた医療従事者ではなくコロナ患者を受け入れようとしなかった圧倒的多数の民間病院、これらの病院に働きかけなかった厚労省(特に医師免許を持つ技官)や医師会です。補助金などでなんとか動かした部分はあったが圧倒的に足りなかったようです。

ただ、受け入れを拒否する医療機関を強制的に従わせることは無理があることはわかっているようで、今後の対策として、医療技官などの公務員に期間限定の強権を与え、失敗に対しては責任を取らせるという制度を作ることを提案していました。古代ローマ時代の独裁官みたいなものですが、はたして日本において、そのようなやり方が可能なのかはわかりません。

ただ、今回誰もが、おかしい、これではいけないと思いつつ、責任を取らされるのが嫌で保身に汲々としていたことは事実だと思うのです。

2冊の本を読み終えて、政治と専門性ということを考えました。

自分とは無縁と思いがちの政治。それがこれほど自分の生活と直結しているのだと思い知りました。

誰もがなにかの専門です。決まりだから、そうなっているから、しかたがない、こういった理由で現状を傍観するのなら専門家はいらないのです。

現状を打破する知恵こそ、専門家が専門家たるゆえんです。

厚労省医療技官や医師だけではありません。

人にはそれぞれの専門がある。自分にできることをやり切る。

ほんとうに大事なことは有事であれ、平時であれ同じなのだと思いました。