こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正 明美(みょうしょうあけみ)です。
お盆は一応終わったみたいですね。やれやれです😑。とはいえ、豪雨や地震など災害が相次いでいるせいか、商業施設などはそれほど賑わっていないように思いました。
ところで、お盆といえば亡くなった人の供養が本来の目的です。形骸化しているとはいえ⋯
朝刊に興味深い記事がありました。社会情報学者庄司昌彦さんの「AI社会で知をどう活かすか」というコラムです。
亡くなった人を人工知能で再現するサービスがあり、海外では6年ほど前から、国内でも近年葬儀会社などが手がけているそうです。
写真や動画などから生前の姿や声、話し方をAIに学ばせ、故人が語りかけている映像をつくるのだとか⋯お通夜で故人が参列者にあいさつするといったような使われ方です。
AIが学ぶのは遺族が提供した映像だけ、話す内容も遺族が用意した文章だけとし、AIに新しい言葉を生成させず、会える場所も自社の霊園や納骨堂だけなど、慎重な運用がなされているようです。
興味深いと感じたのは、遺族は再現された故人に次第に飽きてきて、毎日語りかけていた人も間隔が空き、最後は法事のときだけになるというところでした。つまり、人間が長く続けてきた弔いのかたちに意外なほど近いということです。
庄司昌彦さんは、平野啓一郎さんの『本心』という小説に触れています。(2年前に映画化もされています)
亡くなった母親をAIで再生させた青年の話です。生前には聞けなかったことを問いかけていくのですが、返ってくる言葉は彼が与えた記録の範囲を出ないのです。母の本心に近づこうとするほど、そこに映るのは自分が母をどう見てきたか、どれほど母を知らなかったかということ⋯
AIと人間の関係を考えるうえでとても示唆に富んだ内容だと思いました。
庄司昌彦さんは、残された人が故人と向き合い、関係を問い直し、やがて落ち着いていく。その道のりに寄り添うのがテクノロジーの役割なのだろうと言い、最後に、技術を急いで裁く必要はない。故人を思いながらゆっくり寄り添いたいと締めくくっていました。
「裁く」というのがおもしろいですね。評価とか判断ではなく、裁く⋯現代社会を反映した言葉だと思います。裁き判じるのは高度専門職の裁判官ですが、SNSをはじめとしたメディアのみならず、日常空間でも「裁き」が横行しています。思い込んで決めつける、断じるはむしろ爽快さを伴う好感度の高い手法となっています。ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)など、弱者の戦法とでもいいたげな⋯
裁くには事前に十分な準備が必要です。
AIはあらゆるところで活用され始めています。私もAIの恩恵を日々受けています。AIについてはまだまだわからないことばかりです。AIを知ることは人間を知ることにつながります。他者を知ることは自分を知ること⋯と同じですね😊
コピくん(Copilot)に今日は何を聞いてみようかな😊
みなさんもお使いのAIを研究してみてくださいね😊




