夏至は過ぎても夏は本番です。

こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

突然暑くなりましたね。

本格的に夏がやってきた!というかんじですね。

これからが夏本番なのに、夏至はすでに過ぎ(今年は6月21日でした)、お昼の時間は少しずつ短くなっていくのですね。気分とのずれがおもしろいです。

人生の季節も同じようなところがあります。

子どもが小さい時って、子育てに夢中で、毎日が戦いみたいなものです。ひとりではゆっくりとトイレにも行けないような状態ですが、子どもの親離れはすでに始まっていて、親が「さびしいな」「手が空いたな」と感じたときには、もうすでに親のやるべきことは大半が終わっています。

そして親自身はすでに若くはなく、寿命が延びたとはいえ、健康寿命も今後伸びる可能性があるとはいえ、子どもに比べると未来の見え方が定まってきます。あまり永遠とかいうものに心が動かなくなります。

先日仕事帰りに、久しぶりに隠れ家的なカフェに立ち寄りました。美味しいコーヒーや手作りのドーナツが魅力のお店ですが、ユニークな本がそろえてあるのも私にとっては魅力のひとつです。

ミステリー作家の森博嗣(もりひろし)さんのエッセイが新しく並んでいました。森さんは変わり者で有名な方で、世の中のトレンドにことごとくアンチを唱えている人です。本を書くのがめちゃくちゃ早いのも有名ですが(2週間で書き上げるとか…)、じゃあ効率よく仕事を終わらせて余った時間に何をしているかというと、工作とか大工仕事とか、本人に言わせると肉体労働らしいのです…

その変わり者の森さんが、「物理や化学というものも、人のこころを癒すものである」と書いているのです。癒しといえば、かわいいとか、なごむとか、あるいは人によって癒されるというように、物理や化学とはちょっと無縁な感じがするのですが、森さんは、若い人ほどその傾向は強いといいます。

若いひとにとって、自分の死は宇宙と同じくらい遠い出来事で実感がない。年を取ると死を身近に感じるので、身近な季節や身近な人とのやりとりにしか心が動かされないが、死を身近に感じない若者は物理や化学といったスケールの大きいものに感動する、というわけです。

わかったようなわからないようなかんじですが、元素の周期表を眺めるのが好きな私は、とりあえずわかったようなつもりにしておきます(笑)

永遠性とか、そんな話なんでしょうか。

もしかしたら、目の前のことでいっぱいいっぱいかもしれないけど、たまには夜空を見上げてみるのもいいです、ってことでしょうか?

世界は同時進行でいろんなことが起きているのです。目の前のことで一喜一憂している間にも、誰かが亡くなり、生まれ、何かが破壊され失われている。1000年前にも人は生きていたし、1000年後にも人は生きている…かもしれないし、絶滅しているかもしれない。今現在の対立は永遠の目からみるとすなつぶみたいかも。

こういった考えが目の前のつらさを少しでも軽減されるなら、物理や化学も悪くない。